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ユニード

株式会社ユニード(英称:UNEED Co., Ltd.)は、かつて存在したスーパーマーケット。名前の由来は、"You Need"とも言われているが、Unity(統一)とNeed(必要)を合わせたもの。九州を中心に、西日本各地にチェーン展開していた。1981年にダイエーグループに参入後、1994年にダイエーに吸収合併され、消滅した。概要九州の人々の間では、今でも、ダイエーのことを「ユニード」「渕上」「渕上ユニード」「アピロス」と言われることがある。本項目では、「渕上」「アピロス」についても説明する。また、株式会社ユニードダイエーについても説明する。本店所在地は、福岡県福岡市博多区祇園町7-20。ルーツである渕上百貨店のあった場所である。設立は1958年(株式会社丸栄)で、証券コードは8272(大証2部・福証)。なお、香川県丸亀市に本社を置く株式会社ユニードとは一切関係ない。また、ユニードの旧商号は「丸栄」であるが、名古屋市に本社を置く百貨店丸榮とも、同じくダイエーグループでかつて存在した丸栄商事(現:グルメシティ近畿)とも一切関係ない。店舗によっては、店名表記が「(ユニード)○○ショッピングバザール」(ユニード野芥ショッピングバザール・香椎ショッピングバザール・諫早ショッピングバザール・ショッピングバザール富雄・箱崎ショッピングバザールなど)となっていたところもある。沿革1895年 - 初代渕上久三郎が、呉服雑貨商「渕上呉服店」を福岡市に創業。二代目徹郎が継承し家業を確立。1947年 - 戦時中の企業整理を経て、再度開店。1950年 - 株式会社渕上呉服店を設立。代表取締役に渕上栄一が就任。実弟の亀之助・禮藏も協力。1953年 - 百貨店事業を始めるため、株式会社渕上に商号変更。1958年 - 労働争議をきっかけに、株式会社丸栄を設立し福岡市西新に1号店(現:ダイエー西新店)を開店。スーパーマーケットのチェーン展開を開始。1963年 - 渕上百貨店が火災で焼失。1965年10月21日 - 1963年に焼失した渕上百貨店跡地に、丸栄を開店(のちのユニード本店→グルメシティ渕上店)。これで、渕上一族の経営基盤が、百貨店からスーパーマーケットに完全シフトしたことになる。1970年 - 株式会社丸栄を株式会社ユニードに商号変更。堺東店の開店を皮切りに、関西にも進出。1973年 - ショッピングセンター「アピロス」の1号店を香椎に開店(のちのダイエー香椎駅前店)。1978年 - ユニード、福岡証券取引所に上場。1978年 - ユニードの呉服売場を、新設の株式会社ゆう苑(現:渕上ファインズ)に譲渡。1979年 - ユニード、大阪証券取引所2部に上場。1979年10月 - スーパーマーケットと百貨店の中間業態店舗「熊本城屋」を開業。ユニードが出資したが、ユニード直営ではなく株式会社熊本城屋の運営とした。(のちに城屋ダイエーに改称後、1995年9月1日にダイエー熊本下通店に業態転換)1981年2月21日 - 熊本城屋の資本金を1億円から10億円に増資。うち5億円をダイエーが出資し、残りをユニードが出資することで、熊本城屋はユニードとダイエーの折半同額出資となった。1981年 - フランスベッドと協力し、2か月間の外商で布団を21億円売り上げる。1981年 - 株式会社都チェーンストア(アパレル企業。現:株式会社ミヤコ。CDショップのミヤコとは無関係)と提携(1991年に提携解消)。1981年 - 株式会社ゆう苑に婚礼衣裳部門を譲渡。1981年9月1日 - 株式会社九州ダイエーを合併。ダイエーグループになり、この時点での商号は「株式会社ユニード」のままであったが、マークはダイエーと同じマークになった。1987年5月 代表取締役社長が、創業者の渕上栄一から、ダイエー出身の平山敞に交代。1990年 - ユニード元社長渕上栄一・副社長渕上亀之助・専務渕上禮藏の3兄弟が、財団法人渕上育英会を設立(創業者渕上一族の、ユニードからの事実上の離脱)。1991年5月 - 亀山博光が代表取締役社長に就任。1991年9月1日 - 株式会社ユニードを「株式会社ユニードダイエー」に商号変更。1994年 - 株式会社ダイエーに吸収合併。2004年11月 - 「株式会社ユニードダイエー友の会」が解散。2005年10月31日 - ダイエーにより、グルメシティ渕上店(渕上百貨店跡地のユニード本店から改称)が閉店。2006年11月10日 - 東京建物が、グルメシティ渕上店跡地をダイエーから約50億円で購入。建物解体後、約2,800平方メートルの敷地にオフィスビルを新築して、ダイエーが入居する。2009年3月1日 - 渕上店跡にグルメシティ博多祇園店が開業。渕上ユニードの発展福岡県飯塚出身の渕上一族が、家業として開業していた渕上百貨店から、スーパーマーケット業に転換し始めたのは、労働争議によると言われている。そごうや三越などと同様に、もともと呉服店や衣料品店だったものを百貨店に転換した渕上であったが、一方で、戦後のこの時期にスーパーマーケット業態が成長し始めており、のちにイオンとなる岡田屋やフタギ洋品店、あるいはイトーヨーカドーが呉服店や衣料品店からスーパーマーケットに転換していくように、渕上は、スーパーマーケット業に参入するようになる。1958年、株式会社丸栄を設立し、福岡市西新町に第1号店となる西新店を開店した(現:ダイエー西新店)。これを機に、渕上一族は、スーパー丸栄の店舗を少しずつ増やしていった。この時点では、渕上一族は「渕上・丸栄グループ」、すなわち、百貨店「渕上百貨店」を経営する株式会社渕上と、スーパーマーケットチェーン「丸栄」を経営する株式会社丸栄との2本立てで経営を行っていた。しかし、1963年に渕上百貨店が大火災に見舞われ焼失、さらには、1964年に博多駅ビルに大光百貨店を開店したもののほどなく撤退することになった。1965年、渕上百貨店跡地に、渕上百貨店の再建ではなく、スーパーマーケットの丸栄を開店した。明治に呉服店として創業し百貨店に転換した流れはここで終わり、のちに「ユニード」と改称してナショナルチェーンへと発展していくスーパーマーケット丸栄に一本化される。1967年、丸栄は、広島市中区紙屋町2丁目に広島店(のちのユニード広島店)を開店。さらに1970年には商号を「株式会社ユニード」に変更し、大阪府堺市に堺東店を開店した。九州各地に加え、中国・関西にも進出し、当時としては屈指のナショナルスーパーマーケットチェーンに発展、「九州の雄」とまで言われるようになった。1973年には、ショッピングセンター「アピロス」も誕生した。1978年には福岡証券取引所に、翌1979年には大証二部にも上場したが、株価は低迷。また、経営状態も実質的には悪化していたものの、毎年2月末の決算で黒字となるように、取引先への過剰な値引き交渉に加え、対価支払を次の決算期に先送りするなどしていたといわれる。百貨店からナショナルスーパーマーケットへ、渕上の家業を一代で発展させた渕上栄一であったが、金融機関の後押しもあり、ついに1980年の暮れ、同業ライバル関係にあったダイエーの中内功と密会し、提携に向けた交渉を始める。追記:出店について、まず九州全体を面的に制覇しておればよかったが、広島や大阪方面へ飛んで出店したことが無駄となった。昭和50年代初頭には九州一のスーパーマーケットであったが、壽屋の面的な九州制覇戦略に抗し切れず、株式上場後のころからは九州一の座を壽屋に奪われる結果となった。さらに、ダイエーグループ入り後は、ユニード流の経営形態とダイエー的な経営形態が社内で混合したために、さらに無駄が生じた。ダイエーとユニードの統合ダイエーは、ユニードとの統合以前に、1963年、株式会社フクオカダイエーを設立して、福岡市天神を皮切りに九州に進出した。1969年にフクオカダイエーをダイエーに吸収合併して以後は、九州地区のダイエーも株式会社ダイエーが直轄営業していたが、1980年11月に株式会社九州ダイエーを設立。これは、九州地区のダイエーを、「(ダイエーグループの)株式会社ユニード」のもとで営業させるための準備であったとされる。1981年5月に九州地区のダイエーは九州ダイエーに譲渡された。なお、この九州ダイエーは、九州スーパーマーケットダイエー(現:グルメシティ九州)とは関係ない。一方のユニードは、ダイエーグループ入りのきっかけとなった経営不振を試算した結果、1981年2月末時点で10億円もの赤字が出ることが判明した。従来のからくりでは黒字化できない額でありこのままでは上場以来初の赤字決算となってしまうこと、ダイエーとの統合をユニードにとって少しでも有利にしたいとの思いなどから、ユニードは、ある“奇策”を実行する。それは、外商で赤字を解消するというものであった。それまでのユニードは、テレビやエアコンなど、単価が高く「一家に一台」の商品を外商販売の主力としてきた。しかし、これで10億円の利益を得るのは困難であると予想された。そのとき、長崎屋がフランスベッドの羽毛布団を1年間で10億円売り上げたことをヒントに、ユニードは、単価が低く「一人に一枚」の羽毛布団を外商販売の主力とし、フランスベッドと協力して、1981年の1月と2月の2か月間で20億円売り上げることを決めた(この20億円は、納入価格を定価の50%として20億円売り上げることで、その50%である10億円がユニードの利益となるものである)。各店舗間で、売上額を競争させたり、販売手法を伝授しあったりした結果、実際に2か月間で21億円以上を売り上げることに成功した。1981年5月23日、公正取引委員会は、ユニードと九州ダイエーとの合併について「独占禁止法違反」との見解を示した。これは、合併後の販売額シェアが福岡県内と長崎県内において25%を超えることが分かったためとして、25%を超えないように一部店舗を他社へ譲渡するか、ダイエーが(合併後の)ユニード株を保有する率を引き下げることを要求したものであった。これに対しダイエーの中内功社長は、シェア25%で区分する理由が不明確であり、将来的に流通業界再編を阻害する要因になりかねないとして抵抗しつつも、合併を計画どおり進めるために、合併自体は計画どおり行うが合併後にダイエーがユニード株を一部売却することを表明したうえで、1981年6月10日に合併契約書に正式調印した。また、ユニードは合併前、ジャスコ(現:イオン)・ユニー・イズミヤ・忠実屋と、仕入れや開発を共同で行う会社アイクを設立しグループを形成していたが、合併を機にアイクグループを離脱することになった。1981年9月1日、ユニードと九州ダイエーが合併した(合併比率は1:1、存続会社はユニード、資本金は21億4000万円)。当初は、ユニード店と旧ダイエー店とでそれぞれ従来どおりの営業であったが、少しずつ、ダイエーの手法に一本化されていった。合併以後に開店した店舗は、しばらくは「ユニード」や「アピロス」で開店されたが、これらも、既存店舗ともども、ダイエー式の「ダイエー」「ショッパーズ」さらには「グルメシティ」「トポス」などに改称されていった。そして、株式会社ユニード自体も、合併から10年となる1991年9月1日に株式会社ユニードダイエーに改称されたのち、1994年に、ダイナハや忠実屋とともにダイエーに吸収合併され、消滅した。なお、1987年には、創業者の渕上栄一が代表取締役社長を退任し、代わりにダイエー出身の平山敞が就任した。ユニード社長を4年間務めた平山は、ダイエーの手法を導入しつつユニードの経営を立て直した人物として語られることもある(平山は1991年、中内功が自身の後継を模索する中でダイエーの代表職を身内で固める人事の末にダイエーを追放され独立するが、その後、中内の退任した2001年に代表取締役副社長としてダイエーに戻りダイエーの経営再建を手がけているほか、数々の企業の経営再建実績がある)。1988年10月の、プロ野球南海ホークス買収も、当初はユニードが有力買収先と報じられていたが、最終的にはダイエーが買収し、福岡ダイエーホークスとなった。渕上一族のユニードからの離脱渕上一族にとっては、自ら開業したユニードを、ダイエーに"奪われる"結果となった。資本親子関係のもとでダイエー化していくユニードであったが、社長の渕上栄一をはじめ一族はけっして代表権を返上せず、あくまで「渕上ユニード」を維持し続けた。しかし、それにも限界があった。ユニードがダイエーと提携を始める以前の1978年に、ユニード店内にあった呉服売場について、株式会社ゆう苑を設立して分離独立させていた。ユニードがことごとくダイエー化してしまったこと、また、渕上のルーツが呉服商だったこともあり、ゆう苑が、渕上一族の商売の拠り所になっていく。1990年、渕上栄一・亀之助・禮藏の3兄弟が財団法人渕上育英会を設立。このとき3人ともユニードを離れており、同財団法人はユニードではなくゆう苑の関連として設立されている。現在、渕上一族が携わっている法人は、次のとおりである。株式会社渕上ファインズ株式会社ゆう苑ファミリー株式会社彩苑株式会社渕上コミュニティ株式会社ミヤコなお、ゆう苑設立のきっかけとなった、きもの宝飾部門(1978年にユニードから譲り受けた呉服売場と、1980年に開始した宝石部門)については、2004年に株式会社九州さが美に譲渡している。渕上・丸栄→ユニードの出店 徳力アピロス(2009年閉店) 2009年の時点でも「アピロス」の名前が残った最後の店舗 ダイエー福重店(旧福重アピロス) ダイエーグルメシティ博多祇園店(旧ユニード本店・ダイエー渕上店)ここでは、1981年8月31日以前にフクオカダイエー、ダイエー、九州ダイエーが開店した店舗は含んでいない。☆は「ダイエー」として、★は「グルメシティ」として現存している店舗。1895年:渕上商店創業(→1953年から渕上百貨店。1963年に火災焼失)1958年:西新店☆(スーパー丸栄の第1号店)1960年:久留米店1961年:小倉店1963年:若松店1964年:天神店(ダイエーの天神店とは無関係)、熊本駅前店、黒崎店、大光百貨店(後の博多井筒屋)、箱崎店1965年:本店(→渕上店→博多祇園店★:2005年に一旦閉店後、建替され2009年にグルメシティ博多祇園店となる。渕上百貨店跡)1966年:大分店、熊本上通店1967年:蓑島店、別府店☆、佐賀店、広島店(中国地方に進出)1968年:下関店、佐世保店、八代店、岩国店1969年:長崎店☆、岡山店1970年:堺東店(関西に進出)、大牟田店1971年:八幡店、鶴見橋店(大阪)1972年:朝日ヶ丘店、久留米国鉄駅前店(→JR久留米駅前店★)、三萩野店、諫早店、雑餉隈店★1973年:富雄店☆(奈良)、島原店☆、アピロス香椎店1974年:アピロス二日市店☆、伊万里店、宮崎店、井尻店★、アピロス日向店、友泉亭店1975年:屋形原店1976年:アピロス野間店、岡南店(岡山)1977年:古賀店★、直方店、遠賀川店1978年:春日店、野芥店★、日田店☆、門司店、昇町店1979年:オオツカ筑後店、三田川店、上白水店★、湯町店、周船寺店、今宿店、野方店、アピロス東郷店、大川店、南庄店、有田店、熊本城屋(→熊本下通店☆)1980年:福間店、相生店、アピロス徳力店(★:店舗は存続するものの2009年に建て替えされ2010年再開店予定)、篠栗店1981年:鞍手店、舞松原店、荒江店、原田店、ダイコー宮田店、由布院ホームセンター店(→湯布院店★)、麦野店1982年:基山店、三筑店★(→南福岡店)、曙店、金剛店☆、アピロス春日店☆、健軍店、Fバーンズ安徳店1983年:小笹店、大橋店★、甘木店、Fバーンズ八女店、ショッパーズ六ッ門店、アピロス水巻店☆、アピロス福重店☆1986年:ダイエー下大利店☆(以後、ユニード○○店ではなくダイエー○○店で開店する)関連企業関西ユニード ユニードの関西地区事業会社であったが、1991年10月に富雄店をダイエーに譲渡したうえで、会社は1992年に清算された。ユニテック総合サービス(施設管理・保険業) ユニードのダイエーへの吸収合併を前に、1992年9月にダイエーグループの同業社・朝日セキュリティシステムズ(現・ザイマックスビルマネジメント、現在はグループを離脱)と合併した。株式会社デオニー(家電小売業) 1981年、ユニードの全額出資で設立され(本社は北九州市)、第一産業(現:デオデオ)と事業提携したうえで同年4月にデオニー1号店を小倉に開店(跡地に現在のデオデオ小倉本店が建てられた)。1986年に第一産業の子会社となる。2001年7月2日に(旧)株式会社デオデオテクノネットを完全子会社化した上で2001年10月1日に同社を吸収合併して株式会社デオデオテクノネットに商号変更。2005年3月31日に株式会社デオデオに吸収合併され消滅。関連項目大洋デパート火災火災後、大洋デパートが再建、再開業するが倒産。倒産後の引き受け会社としてユニードの出資により「熊本城屋」を設立。現在はダイエー熊本下通店。外部リンク渕上ファインズ(ユニードから独立した渕上一族の会社)株式会社ミヤコ(ユニードから独立した渕上一族の会社)セレモニーホール彩苑 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%89」より作成カテゴリ: かつて存在した日本の小売業者 | 九州・沖縄地方のスーパーマーケット | かつて存在した福岡県の企業 | ダイエー隠しカテゴリ: 企業関連のスタブ株式会社ユニード(英称:UNEED Co., Ltd.)は、かつて存在したスーパーマーケット。名前の由来は、"You Need"とも言われているが、Unity(統一)とNeed(必要)を合わせたもの。九州を中心に、西日本各地にチェーン展開していた。1981年にダイエーグループに参入後、1994年にダイエーに吸収合併され、消滅した。概要九州の人々の間では、今でも、ダイエーのことを「ユニード」「渕上」「渕上ユニード」「アピロス」と言われることがある。本項目では、「渕上」「アピロス」についても説明する。また、株式会社ユニードダイエーについても説明する。本店所在地は、福岡県福岡市博多区祇園町7-20。ルーツである渕上百貨店のあった場所である。設立は1958年(株式会社丸栄)で、証券コードは8272(大証2部・福証)。なお、香川県丸亀市に本社を置く株式会社ユニードとは一切関係ない。また、ユニードの旧商号は「丸栄」であるが、名古屋市に本社を置く百貨店丸榮とも、同じくダイエーグループでかつて存在した丸栄商事(現:グルメシティ近畿)とも一切関係ない。店舗によっては、店名表記が「(ユニード)○○ショッピングバザール」(ユニード野芥ショッピングバザール・香椎ショッピングバザール・諫早ショッピングバザール・ショッピングバザール富雄・箱崎ショッピングバザールなど)となっていたところもある。沿革1895年 - 初代渕上久三郎が、呉服雑貨商「渕上呉服店」を福岡市に創業。二代目徹郎が継承し家業を確立。1947年 - 戦時中の企業整理を経て、再度開店。1950年 - 株式会社渕上呉服店を設立。代表取締役に渕上栄一が就任。実弟の亀之助・禮藏も協力。1953年 - 百貨店事業を始めるため、株式会社渕上に商号変更。1958年 - 労働争議をきっかけに、株式会社丸栄を設立し福岡市西新に1号店(現:ダイエー西新店)を開店。スーパーマーケットのチェーン展開を開始。1963年 - 渕上百貨店が火災で焼失。1965年10月21日 - 1963年に焼失した渕上百貨店跡地に、丸栄を開店(のちのユニード本店→グルメシティ渕上店)。これで、渕上一族の経営基盤が、百貨店からスーパーマーケットに完全シフトしたことになる。1970年 - 株式会社丸栄を株式会社ユニードに商号変更。堺東店の開店を皮切りに、関西にも進出。1973年 - ショッピングセンター「アピロス」の1号店を香椎に開店(のちのダイエー香椎駅前店)。1978年 - ユニード、福岡証券取引所に上場。1978年 - ユニードの呉服売場を、新設の株式会社ゆう苑(現:渕上ファインズ)に譲渡。1979年 - ユニード、大阪証券取引所2部に上場。1979年10月 - スーパーマーケットと百貨店の中間業態店舗「熊本城屋」を開業。ユニードが出資したが、ユニード直営ではなく株式会社熊本城屋の運営とした。(のちに城屋ダイエーに改称後、1995年9月1日にダイエー熊本下通店に業態転換)1981年2月21日 - 熊本城屋の資本金を1億円から10億円に増資。うち5億円をダイエーが出資し、残りをユニードが出資することで、熊本城屋はユニードとダイエーの折半同額出資となった。1981年 - フランスベッドと協力し、2か月間の外商で布団を21億円売り上げる。1981年 - 株式会社都チェーンストア(アパレル企業。現:株式会社ミヤコ。CDショップのミヤコとは無関係)と提携(1991年に提携解消)。1981年 - 株式会社ゆう苑に婚礼衣裳部門を譲渡。1981年9月1日 - 株式会社九州ダイエーを合併。ダイエーグループになり、この時点での商号は「株式会社ユニード」のままであったが、マークはダイエーと同じマークになった。1987年5月 代表取締役社長が、創業者の渕上栄一から、ダイエー出身の平山敞に交代。1990年 - ユニード元社長渕上栄一・副社長渕上亀之助・専務渕上禮藏の3兄弟が、財団法人渕上育英会を設立(創業者渕上一族の、ユニードからの事実上の離脱)。1991年5月 - 亀山博光が代表取締役社長に就任。1991年9月1日 - 株式会社ユニードを「株式会社ユニードダイエー」に商号変更。1994年 - 株式会社ダイエーに吸収合併。2004年11月 - 「株式会社ユニードダイエー友の会」が解散。2005年10月31日 - ダイエーにより、グルメシティ渕上店(渕上百貨店跡地のユニード本店から改称)が閉店。2006年11月10日 - 東京建物が、グルメシティ渕上店跡地をダイエーから約50億円で購入。建物解体後、約2,800平方メートルの敷地にオフィスビルを新築して、ダイエーが入居する。2009年3月1日 - 渕上店跡にグルメシティ博多祇園店が開業。渕上ユニードの発展福岡県飯塚出身の渕上一族が、家業として開業していた渕上百貨店から、スーパーマーケット業に転換し始めたのは、労働争議によると言われている。そごうや三越などと同様に、もともと呉服店や衣料品店だったものを百貨店に転換した渕上であったが、一方で、戦後のこの時期にスーパーマーケット業態が成長し始めており、のちにイオンとなる岡田屋やフタギ洋品店、あるいはイトーヨーカドーが呉服店や衣料品店からスーパーマーケットに転換していくように、渕上は、スーパーマーケット業に参入するようになる。1958年、株式会社丸栄を設立し、福岡市西新町に第1号店となる西新店を開店した(現:ダイエー西新店)。これを機に、渕上一族は、スーパー丸栄の店舗を少しずつ増やしていった。この時点では、渕上一族は「渕上・丸栄グループ」、すなわち、百貨店「渕上百貨店」を経営する株式会社渕上と、スーパーマーケットチェーン「丸栄」を経営する株式会社丸栄との2本立てで経営を行っていた。しかし、1963年に渕上百貨店が大火災に見舞われ焼失、さらには、1964年に博多駅ビルに大光百貨店を開店したもののほどなく撤退することになった。1965年、渕上百貨店跡地に、渕上百貨店の再建ではなく、スーパーマーケットの丸栄を開店した。明治に呉服店として創業し百貨店に転換した流れはここで終わり、のちに「ユニード」と改称してナショナルチェーンへと発展していくスーパーマーケット丸栄に一本化される。1967年、丸栄は、広島市中区紙屋町2丁目に広島店(のちのユニード広島店)を開店。さらに1970年には商号を「株式会社ユニード」に変更し、大阪府堺市に堺東店を開店した。九州各地に加え、中国・関西にも進出し、当時としては屈指のナショナルスーパーマーケットチェーンに発展、「九州の雄」とまで言われるようになった。1973年には、ショッピングセンター「アピロス」も誕生した。1978年には福岡証券取引所に、翌1979年には大証二部にも上場したが、株価は低迷。また、経営状態も実質的には悪化していたものの、毎年2月末の決算で黒字となるように、取引先への過剰な値引き交渉に加え、対価支払を次の決算期に先送りするなどしていたといわれる。百貨店からナショナルスーパーマーケットへ、渕上の家業を一代で発展させた渕上栄一であったが、金融機関の後押しもあり、ついに1980年の暮れ、同業ライバル関係にあったダイエーの中内功と密会し、提携に向けた交渉を始める。追記:出店について、まず九州全体を面的に制覇しておればよかったが、広島や大阪方面へ飛んで出店したことが無駄となった。昭和50年代初頭には九州一のスーパーマーケットであったが、壽屋の面的な九州制覇戦略に抗し切れず、株式上場後のころからは九州一の座を壽屋に奪われる結果となった。さらに、ダイエーグループ入り後は、ユニード流の経営形態とダイエー的な経営形態が社内で混合したために、さらに無駄が生じた。ダイエーとユニードの統合ダイエーは、ユニードとの統合以前に、1963年、株式会社フクオカダイエーを設立して、福岡市天神を皮切りに九州に進出した。1969年にフクオカダイエーをダイエーに吸収合併して以後は、九州地区のダイエーも株式会社ダイエーが直轄営業していたが、1980年11月に株式会社九州ダイエーを設立。これは、九州地区のダイエーを、「(ダイエーグループの)株式会社ユニード」のもとで営業させるための準備であったとされる。1981年5月に九州地区のダイエーは九州ダイエーに譲渡された。なお、この九州ダイエーは、九州スーパーマーケットダイエー(現:グルメシティ九州)とは関係ない。一方のユニードは、ダイエーグループ入りのきっかけとなった経営不振を試算した結果、1981年2月末時点で10億円もの赤字が出ることが判明した。従来のからくりでは黒字化できない額でありこのままでは上場以来初の赤字決算となってしまうこと、ダイエーとの統合をユニードにとって少しでも有利にしたいとの思いなどから、ユニードは、ある“奇策”を実行する。それは、外商で赤字を解消するというものであった。それまでのユニードは、テレビやエアコンなど、単価が高く「一家に一台」の商品を外商販売の主力としてきた。しかし、これで10億円の利益を得るのは困難であると予想された。そのとき、長崎屋がフランスベッドの羽毛布団を1年間で10億円売り上げたことをヒントに、ユニードは、単価が低く「一人に一枚」の羽毛布団を外商販売の主力とし、フランスベッドと協力して、1981年の1月と2月の2か月間で20億円売り上げることを決めた(この20億円は、納入価格を定価の50%として20億円売り上げることで、その50%である10億円がユニードの利益となるものである)。各店舗間で、売上額を競争させたり、販売手法を伝授しあったりした結果、実際に2か月間で21億円以上を売り上げることに成功した。1981年5月23日、公正取引委員会は、ユニードと九州ダイエーとの合併について「独占禁止法違反」との見解を示した。これは、合併後の販売額シェアが福岡県内と長崎県内において25%を超えることが分かったためとして、25%を超えないように一部店舗を他社へ譲渡するか、ダイエーが(合併後の)ユニード株を保有する率を引き下げることを要求したものであった。これに対しダイエーの中内功社長は、シェア25%で区分する理由が不明確であり、将来的に流通業界再編を阻害する要因になりかねないとして抵抗しつつも、合併を計画どおり進めるために、合併自体は計画どおり行うが合併後にダイエーがユニード株を一部売却することを表明したうえで、1981年6月10日に合併契約書に正式調印した。また、ユニードは合併前、ジャスコ(現:イオン)・ユニー・イズミヤ・忠実屋と、仕入れや開発を共同で行う会社アイクを設立しグループを形成していたが、合併を機にアイクグループを離脱することになった。1981年9月1日、ユニードと九州ダイエーが合併した(合併比率は1:1、存続会社はユニード、資本金は21億4000万円)。当初は、ユニード店と旧ダイエー店とでそれぞれ従来どおりの営業であったが、少しずつ、ダイエーの手法に一本化されていった。合併以後に開店した店舗は、しばらくは「ユニード」や「アピロス」で開店されたが、これらも、既存店舗ともども、ダイエー式の「ダイエー」「ショッパーズ」さらには「グルメシティ」「トポス」などに改称されていった。そして、株式会社ユニード自体も、合併から10年となる1991年9月1日に株式会社ユニードダイエーに改称されたのち、1994年に、ダイナハや忠実屋とともにダイエーに吸収合併され、消滅した。なお、1987年には、創業者の渕上栄一が代表取締役社長を退任し、代わりにダイエー出身の平山敞が就任した。ユニード社長を4年間務めた平山は、ダイエーの手法を導入しつつユニードの経営を立て直した人物として語られることもある(平山は1991年、中内功が自身の後継を模索する中でダイエーの代表職を身内で固める人事の末にダイエーを追放され独立するが、その後、中内の退任した2001年に代表取締役副社長としてダイエーに戻りダイエーの経営再建を手がけているほか、数々の企業の経営再建実績がある)。1988年10月の、プロ野球南海ホークス買収も、当初はユニードが有力買収先と報じられていたが、最終的にはダイエーが買収し、福岡ダイエーホークスとなった。渕上一族のユニードからの離脱渕上一族にとっては、自ら開業したユニードを、ダイエーに"奪われる"結果となった。資本親子関係のもとでダイエー化していくユニードであったが、社長の渕上栄一をはじめ一族はけっして代表権を返上せず、あくまで「渕上ユニード」を維持し続けた。しかし、それにも限界があった。ユニードがダイエーと提携を始める以前の1978年に、ユニード店内にあった呉服売場について、株式会社ゆう苑を設立して分離独立させていた。ユニードがことごとくダイエー化してしまったこと、また、渕上のルーツが呉服商だったこともあり、ゆう苑が、渕上一族の商売の拠り所になっていく。1990年、渕上栄一・亀之助・禮藏の3兄弟が財団法人渕上育英会を設立。このとき3人ともユニードを離れており、同財団法人はユニードではなくゆう苑の関連として設立されている。現在、渕上一族が携わっている法人は、次のとおりである。株式会社渕上ファインズ株式会社ゆう苑ファミリー株式会社彩苑株式会社渕上コミュニティ株式会社ミヤコなお、ゆう苑設立のきっかけとなった、きもの宝飾部門(1978年にユニードから譲り受けた呉服売場と、1980年に開始した宝石部門)については、2004年に株式会社九州さが美に譲渡している。渕上・丸栄→ユニードの出店 徳力アピロス(2009年閉店) 2009年の時点でも「アピロス」の名前が残った最後の店舗 ダイエー福重店(旧福重アピロス) ダイエーグルメシティ博多祇園店(旧ユニード本店・ダイエー渕上店)ここでは、1981年8月31日以前にフクオカダイエー、ダイエー、九州ダイエーが開店した店舗は含んでいない。☆は「ダイエー」として、★は「グルメシティ」として現存している店舗。1895年:渕上商店創業(→1953年から渕上百貨店。1963年に火災焼失)1958年:西新店☆(スーパー丸栄の第1号店)1960年:久留米店1961年:小倉店1963年:若松店1964年:天神店(ダイエーの天神店とは無関係)、熊本駅前店、黒崎店、大光百貨店(後の博多井筒屋)、箱崎店1965年:本店(→渕上店→博多祇園店★:2005年に一旦閉店後、建替され2009年にグルメシティ博多祇園店となる。渕上百貨店跡)1966年:大分店、熊本上通店1967年:蓑島店、別府店☆、佐賀店、広島店(中国地方に進出)1968年:下関店、佐世保店、八代店、岩国店1969年:長崎店☆、岡山店1970年:堺東店(関西に進出)、大牟田店1971年:八幡店、鶴見橋店(大阪)1972年:朝日ヶ丘店、久留米国鉄駅前店(→JR久留米駅前店★)、三萩野店、諫早店、雑餉隈店★1973年:富雄店☆(奈良)、島原店☆、アピロス香椎店1974年:アピロス二日市店☆、伊万里店、宮崎店、井尻店★、アピロス日向店、友泉亭店1975年:屋形原店1976年:アピロス野間店、岡南店(岡山)1977年:古賀店★、直方店、遠賀川店1978年:春日店、野芥店★、日田店☆、門司店、昇町店1979年:オオツカ筑後店、三田川店、上白水店★、湯町店、周船寺店、今宿店、野方店、アピロス東郷店、大川店、南庄店、有田店、熊本城屋(→熊本下通店☆)1980年:福間店、相生店、アピロス徳力店(★:店舗は存続するものの2009年に建て替えされ2010年再開店予定)、篠栗店1981年:鞍手店、舞松原店、荒江店、原田店、ダイコー宮田店、由布院ホームセンター店(→湯布院店★)、麦野店1982年:基山店、三筑店★(→南福岡店)、曙店、金剛店☆、アピロス春日店☆、健軍店、Fバーンズ安徳店1983年:小笹店、大橋店★、甘木店、Fバーンズ八女店、ショッパーズ六ッ門店、アピロス水巻店☆、アピロス福重店☆1986年:ダイエー下大利店☆(以後、ユニード○○店ではなくダイエー○○店で開店する)関連企業関西ユニード ユニードの関西地区事業会社であったが、1991年10月に富雄店をダイエーに譲渡したうえで、会社は1992年に清算された。ユニテック総合サービス(施設管理・保険業) ユニードのダイエーへの吸収合併を前に、1992年9月にダイエーグループの同業社・朝日セキュリティシステムズ(現・ザイマックスビルマネジメント、現在はグループを離脱)と合併した。株式会社デオニー(家電小売業) 1981年、ユニードの全額出資で設立され(本社は北九州市)、第一産業(現:デオデオ)と事業提携したうえで同年4月にデオニー1号店を小倉に開店(跡地に現在のデオデオ小倉本店が建てられた)。1986年に第一産業の子会社となる。2001年7月2日に(旧)株式会社デオデオテクノネットを完全子会社化した上で2001年10月1日に同社を吸収合併して株式会社デオデオテクノネットに商号変更。2005年3月31日に株式会社デオデオに吸収合併され消滅。関連項目大洋デパート火災火災後、大洋デパートが再建、再開業するが倒産。倒産後の引き受け会社としてユニードの出資により「熊本城屋」を設立。現在はダイエー熊本下通店。外部リンク渕上ファインズ(ユニードから独立した渕上一族の会社)株式会社ミヤコ(ユニードから独立した渕上一族の会社)セレモニーホール彩苑 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%89」より作成カテゴリ: かつて存在した日本の小売業者 | 九州・沖縄地方のスーパーマーケット | かつて存在した福岡県の企業 | ダイエー隠しカテゴリ: 企業関連のスタブ

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